【軽井沢移住者インタビュー】「家族の本当に欲しいもの」は軽井沢にありました<前編>
この秋、横浜から軽井沢に移住される、さかおさんご家族。先日、新居の「地鎮祭」を終えられました。ご主人のしんいちさんは新幹線通勤で東京の会社に通い、奥様のゆみさんと娘さんお二人は、軽井沢での暮らしをスタートされます。
そんなさかおさんご夫婦へのインタビューを<前編>と<後編>にわけてお届けします。まず、<前編>では、さかおさんご家族が軽井沢移住に至った経緯についてお伺いします。
都会の「当たり前」に納得できず、家探しに疲れた日々
先日は地鎮祭にお招きいただきありがとうございました。天気も良くて気持ちが良かったですね。さかおさんご家族には小学生のお子さんがお二人いらっしゃいますが、どうしてこのタイミングで移住しようと思われたのですか?
しんいちさん:今の横浜の家に引っ越す前、私たちは8年間海外で暮らしていたんです。ベルギーに6年、イギリスに2年。日本に帰ってきた後、3年の定期借家の家を借りたので、「この3年の間に自分たちの住みたいところが見つかれば家を建てたい」と思っていました。
ご家族での海外暮らしが長かったのですね。
ゆみさん:そうなんです。日本の都会に比べると広めの家に住んでいました。特に、子ども達はイギリスで住んだ広い庭のある家がお気に入りでした。なので、日本で家を探すとなった時、「やっぱりお庭は欲しいよね」と家族で話していました。でも、現実は厳しくて。なかなか納得のいく家に出会えませんでした。都心エリアで「広い庭が欲しい」「300坪くらい」とホームメーカーさんに伝えると、「ややこしい客が来た」「どうせ買えないのに」みたいな空気になってしまうことも多くて。そういうやりとりを続けていると、だんだん疲れてきてしまって、家探しをお休みした時もありました。
しんいちさん:「都会で仕事をするなら、高層マンションか、一戸建てに住めても狭い敷地が当たり前」という日本の常識を何度も突きつけられました。でも、「納得いかない家に、なんでこんな高いお金を払って住まなくちゃいけないんだ?」という疑問はずっと消えませんでした。
子どもの教育についても同じような違和感を感じました。「9割が受験する」「普通は塾いくでしょ」と当たり前の顔で言えちゃう状況は、日本の都会特有に感じました。妻と子どもたちは、僕よりもはるかに「都会の当たり前」の風を強く受けていたと思います。特に子どもたちは、学校でお友達や先生と毎日触れ合っていますからね。
ゆみさん:ベルギーに滞在していた時、周りの子どもたちは、学校以外の時間、スポーツや音楽で、めいいっぱい遊んでいたように思います。小さな頃にたくさん体力をつけて、体の動かし方や感性を養い、いざ勉強する時に自分の意思でしっかり集中できるようにする、という子育ての考え方が主流で、私もそれっていいなと思っていました。でも、日本に帰ってきて、実際子ども自身が「周りの子がみんな塾に行っているから、自分も行かなくては!」と焦り出したのを見て、私も不安になりました。
しんいちさん:子どもも親も、教育については結構揺れ動きましたね。でも、不思議と子どもたちは家のことだけはブレなくて。どの家を見にいっても「広いお庭はないの?」と、あまりいい顔をしませんでした。僕はその時は「子どもは現実がわかってない」と不満を言ったりしていましたが、今思うと怖いですね。ちょっと前まで抱いていた希望を、自分が完全に否定していました。
きっかけは母が見せてくれた写真。家族が「本当に欲しいもの」とは?
ゆみさん:家探しと教育のことで煮詰まっていた時、母が、海外旅行に行くと言って私に海外の自然豊かな風景の写真を見せてくれました。それがとても大きな転機となりました。その写真がとても美しくて、私は「あ、これだ、わたしの欲しいものは」と自分の奥に隠れてしまっていた感情を思い出しました。そして、家族で話し合って「自分は何を求めているのか」「自分には何があればハッピーなのか」を紙に書き出しました。それでわかったのは、自分たち家族は「自然」「広いお庭」「自分に正直になれる場所」を求めているということでした。
ご家族の幸せは、日本の都会の常識には全く当てはまらなかった、とうことですね。
しんいちさん:そうなんです。家族でその事実を確認し合えたおかげで、都会ではないところに住むことをすんなりと決めることができました。これは、都会での家探しのお陰です。あの辛い時期も無駄ではなかったわけですね。
ゆみさん:家探しは、子育てについて考える良い機会にもなりました。子どもたちには、お勉強だけをして強くなるのではなく、自分の価値観に必要なものを自分で身につけて、強くなってほしい。そして、「自然豊かなこの地球に生まれてよかった」と子どもたちに思って欲しくて、都会ではない場所での子育てを決心することができました。
「あの時、軽井沢に住んでいたらどうなっていた?」と後で後悔したくなかった
家探しと子育ての方針が決まって、次は移住先を決める番。数ある自然豊かな場所から、軽井沢を移住先に選ばれたのはなぜでしょうか?
しんいちさん:最初は、在来線を使って1時間半くらいで会社に行ける西関東のエリアを調べました。多摩とか、神奈川の西部とか。新幹線通勤まではまだ考えていませんでした。
ゆみさん:西関東のエリアの土地を色々見たのですが、自然に囲まれた大きな土地は意外と数が少なく、子どもたちが納得しそうな土地が見つかっても、それなりに高かったりして、ここでも家探しに難航しました。自然のある広い土地は欲しくても、それなりに町のような便利さも求めていて。
しんいちさん:僕は、このタイミングで、自分の「働き方」について考えさせられました。海外で出会った尊敬している友人達は、忙しくても心にゆとりがあってパワフルで、いろんな価値観を持っているんですよね。それで、基本的に「わがまま」なんです。仕事はしっかりやった上で、自分がやりたいこともさらっとやっちゃう生き方をしています。
今の仕事は責任も大きくてとてもやりがいもあり、大変気に入っています。転職はしたくないし、広い庭のある生活もしたい。そこで候補に出てきたのが新幹線通勤で通える軽井沢でした。新幹線通勤に関しては、妻が見つけてくれた「#軽井沢から通勤するIT系会社員のブログ」を熟読しました。あと、軽井沢の生活については、タウナー不動産さんのコラムでも学びました。実際に移住したり、通勤したりしている人のリアルな情報発信は、とても参考になりました。移住生活を楽しんでいる様子も伝わってきて、読んでいるうちに「新幹線通勤にはメリットがたくさんある」「軽井沢に住みたい」と思うようになりました。
たとえ、あとで新幹線通勤が嫌になったとしても、「あ〜、あの時軽井沢に住んでたらどうなってたのかな〜」と後悔する方がもっと嫌だな、と思いました。尊敬する友人たちは、モノに縛られていないんです。1年前に買ったお気に入りの家を自分達で楽しみながら時間をかけてリフォームして、さあ完成って時に、「俺たち違う国に引っ越すんだ〜。楽しみだよ〜。」って。それを思い出して、自分が悩んでいるのがバカらしくなりました。今やりたいことがはっきりして、仕事も家も両方叶えられる場所があるんだから、そうすればいいだけなのにと思えました。もっといい場所が見つかれば、軽井沢の家に縛られず、また引っ越せばいいですしね。(笑)
さかおさんご夫婦への移住者インタビューは、<後編>に続きます。
<後編>では、軽井沢を選んだ決め手、移住への不安と楽しみ、移住を検討されている方へのアドバイスをお伺いしていきます。
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