軽井沢移住6年目のリアル

2020年5月14日
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2015年4月に軽井沢に移住してから、まる5年が経った。

移住用のTwitterアカウントを始めてからはじめてのツイートがこちら。いいねも反応もなにもなし、フォロワーゼロからのスタートだった。

この時を思えば、この5年の間に起きた変化は、移住直後の自分では想像できなかったものだったなあというのが正直な感想。振り返ってみると、ここまで本当にいろいろなことがあったし、 日々色々な試行錯誤をしたり、ときに挑戦を乗り越えながら、生活をしてきたなあという実感がある。

ということで今回は、軽井沢に移住して丸5年になる移住者が、その生活を振り返ってみたという話。

1年目:信州を満喫する

今の自分が振り替えると、1年目は半分旅行者気分だ。まあそれで良かったのだけれど。信州の自然すげー、野菜がうまい、こんなご当地グルメもあるのか、イナゴは食べられないなあ、みたいな感想だったと思う。

日々の通勤で森を抜けるときの、爽やかで鮮やかな気分。家からの散歩道にもいくつも紅葉スポットがあったり。ときには庭をキジが走ることなんかもあり、毎日の生活が楽しい。

ツルヤ(信州の誇るご当地スーパー)に行くのも毎回楽しかった。ハーゲンダッツ安い!とかツイートしていたのが懐かしい。

今思えば、信州に住むことのいいとこ取りをできていたのが移住1年目だったのかもしれない。

ただこれは、少し長めの旅行をしているような感覚だったのかなあと思う。今見返すと色々思うことはあるけれど、とりあえず移住先の楽しむを楽しむことが、1年目では一番大事だったのかなあと振り返る。

2年目:土地を購入する

2年目にもなると、シーズンが一周回った安心感を覚えた。生活にはもう十分慣れたし、夏の渋滞だったり、秋が9月半ばには始まることだったり、冬の寒さや長さなどは経験済みだからだ。

1年目はそれらについて、驚きをもって接していたこともあり、そんなにつらい思いはしなかった。逆に2年目になるとこの移住生活にもストレスを感じつつあったのは確かだ。人間というのは自分勝手な生き物だと思う。

ストレスの一つがこの渋滞。 住んでいたのが南が丘という、プリンス通りのすぐ近くだったため、時期によっては自由に車で行動できなくなるのだ。

そして結露。賃貸住宅はどうしてもこのあたりの断熱が甘いので、生活をする上でどうしても不快に感じることがあった。

わかっていたことだが、軽井沢は寒い。そして賃貸物件は住みにくい。ということで、移住1年ちょっとのタイミングで、軽井沢に家を立てようという決断をすることになった。

ちなみに土地勘は1年目でついていたので、探し始めてから1週間で土地の購入を即決。移住から1年2ヶ月目のタイミングでの決断だった。工務店とのやりとりもほぼ同時に初めて、年内には基礎工事を始めることができた。

1年目は旅行者気分でもあり、お試し移住という感じ。嫌になったらいつでも戻ればいいし、仕事もある。 ただしここまで本腰を入れて動き始めると、「ああ、もう東京には戻らずにこちらで生きていくんだな」という覚悟が生まれてくる。

もうひとつ2年目で感じた変化があるとすると、オンラインでのコミュニティが少しずつ生まれてきたことだ。こちらは一部の人の間で #断熱番長 と崇められている、@ki460 さんから初めて話しかけられたときのツイート。今でもよく覚えている。

移住した2015年当時は軽井沢移住について、オンラインでその情報を発信している人を見つけることはできなかった。セミリタイアした人たちや、移住者なのかはわからないが軽井沢に住んでいる人の日記のようなものを読んで、そこでの生活を想像するのみ。

この当時、自分はTwitterで働いていたこともあり、「Twitterで移住クラスタというものを作れないだろうか」という実験をしていた。TwitterはFacebookなどと違い、興味関心で繋がるソーシャルプラットフォームだ。アニメファンとか、スポーツファンとか、なにか共通して熱くなれるものがある人達が、日々コミュニケーションをしている場所だ。

だから、こうやって移住希望者や、ブログに興味を持ってくれた人とつながりを広げておけば、もしかしたら軽井沢移住について熱く語れる仲間ができるかもしれないと信じていたからだ。読者数や、いいね(当時はお気に入り、懐かしいなあ)の数は少なかったけれど、ブログやTwitterなどでずっと情報発信を続けていた。

移住者は孤独だ。移住先のコミュニティや人間関係は、自分でゼロから作り上げないといけない。家の近くに心の許せる友人知人がいるだけで、生活の幸福度は大きく変わる。2年目からは、少しずつだけれど、Twitterで話しかけてくれる人が増えてきて、そういった意味でも何か手応えを感じることができた。

3年目:家が完成して気持ちを新たに

3年目にはとうとう家が完成する。

家造りについては、#軽井沢に家を建ててみる というツイートや、同題名がタイトルについているブログ記事に紹介しているので詳しい説明は省こうと思う。ただ一言、軽井沢に家を建てるというのは思った以上に大変で、夫婦のぶつかりもあって、失敗から得られることが多くて、クリエイティブになることが求められて、そして人生の豊かさについて学ぶことができる経験ということだ。

まず、私生活において家のことを考える時間が長くなった。自分たちで買った家だし、メンテナンスも自分たちで責任が出てくるし、なにより時間をかけるほどいいものに仕上がる。家を立てるというのは、設計で終わるのではなくて、移り住んだ後どのように家を育てていくのか、そんなことも楽しいなあと思える経験ということがわかった。

例えば庭のランドスケープデザインなんかを、プロの人を呼んで一緒に考えたり。

規格住宅にはできない、特殊なニーズを体現してみたり。 

例えばテレビ東京から取材が来て家が紹介されたりした。全国放送で自分の家が紹介されるなんて事あるんだな〜という感想である。

また、世の中では軽井沢を舞台にテラスハウスなんかが撮影されていたりして、新幹線のホームで出演者の人に会ったりとか、プリンス通りの蕎麦屋に見たこともない行列ができていたりとか、小さな「テラスハウス事件」に多く遭遇したりした。

また、仕事でも軽井沢を舞台にしたドラマ「カルテット」について語る機会があるなどした。実はこれが前の職場での最後の仕事になったのも、なんか感慨深くて、カルテットの名前を聞く度に、なんだかみぞみぞしてしまうのだ。

4年目:地域社会に貢献できることを考える

家も建てたし、軽井沢についても詳しくなってきたし、移住仲間も、信州地元出身の知り合いも増えてきた。同時に、ブログやTwitterの影響も感じるようになった4年目。

この頃にぼんやりと思い始めたことがひとつあって、それは、信州で消費するだけではなく、何かを生産することもしたいということだった。

もちろん、家を建てたら固定資産税を収めるわけだし、ローンを組んだのは八十二銀行だし、消費はなるべく東京ではなく信州でするようにしているし、事実として平均よりも多くの住民税を払っていたりする(税金納めるの尊い…)。ただし、仕事をしているのは東京だ。信州には、何も残せていない。

答えになっているかはわからないが、自分にできる情報発信として軽井沢周辺の飲食店を応援するようなブログを書いたりしていた。

ブログ100投稿にはまだ届いていないけれど、コツコツと続けていたので、「ブログでを見てお店に行ったよ〜」と教えてくれる人も次第に増えてきた。また、お店側からも感謝の言葉をいただくことも、たびたびあった。本当に嬉しいなあと思う。

ちなみにこのグルメブログは、今の所お店からお金をもらうことは一切していなくて、ステマは一切なし。本当に心から応援したい、自分が思ういいお店を紹介しているつもり。早く再開したいなあと思う。

まあ今回のブログは振り返りなので、こういう形で小さくてもいいので、少しでも信州の経済に貢献していきたいなあと、この頃は考えていた。

5年目:移住先での自分の役割を広げていく

5年目はもうすこしこの「信州で自分が貢献できること」について考え、行動していた1年だったと思う。

・開業届を出して、それまで片手間でやっていた移住のコンサルティングサービスを事業化。

・Classvessoのコンテンツマーケティング企画と実施。

・Halutaの手掛けるコワーキングスペースのオープニングイベントでの登壇。

  

この1年は、より多くの移住希望者に対して情報提供をすることができたし、不動産会社や地元の事業者とは、お客さんの立場ではなくビジネスパートナーとしても関係構築できるようになった。

また、移住ビジネス以外の軸でも、自分が地域のためにできることを考え、それを行動に移せた。台風被害のあとに軽井沢町に対してSNSアカウントを開設するような署名活動を実施したりした。

台風の直後、停電の中、勢いでこのツイートをしたのが2019年10月12日。

すぐにチームを立ち上げ、その2ヶ月後に町長に署名用紙を提出。

この署名活動は軽井沢新聞から信濃毎日新聞まで、地元で愛されるメディアに何度も取り上げてもらった。そして、署名活動メンバーや、町の赤井議員の後押しもあって、SNSアカウントは翌2020年3月に開設された。

この活動については、移住者だけでなく、軽井沢に長く住んでいる人からも、感謝の気持ちが寄せられた。また、いま故郷を離れているけれども、軽井沢出身ですという方から「軽井沢のためにありがとうございます」といった便りをもらったこともあった。

移住者が、移住先のコミュニティで担える役割ってなんだろう。

答えのない課題だし、一人のよそものが「役割」なんて旗を掲げるなど、おこがましいのかもしれない。けれども、今の自分が、1年目の「旅行者の延長」から一歩抜け出せたという実感は、確かにある。

移住先の生活を消費するだけではもったいない。なにかを作り出すこと。誰かのために役に立つこと。ときには地域社会のために動くこと。そんなことも少しずつ考えられるようになってきた。

2020年4月から移住は6年目に入る。

さて、どう生きていこう。

今回のブログでは5年間の振り返りを、半ば手記のようにまとめてきたが、今回は最後に一つ。

すべての事象には表と裏がある。移住者が増えることに、弊害があると考える人達もいるし、実際に自分がブログを書いたりすることについて、何だあいつと悪く噂されることもある。

例えば、使われなくなった別荘が廃屋になっている一方、少し歩くと大きな分譲地が新たに開発されていたりすることがある。森林伐採を加速させているという意見もある。

だからこれから家を建てるのであれば、基礎にかからない健康な木は残すことだったり、傾斜地を削って無理な建築をしないことだったり、ほかにも軽井沢町の自然保護対策要綱(以下参照)を熟読するなどして、「軽井沢らしさ」の概念を理解するなど、移住者なりの努力はするべきだ。

元から住んでいた地元出身の方々にとってみれば、移住者が一気に増えることによって、地域で育んできた共同体の価値観が脅かされるように感じることもあるかもしれない。 

あまり抽象的なプロパガンダを訴求するつもりはないのだけれど、軽井沢に移住して、ひとりの信州人として地域社会で生きていくためには、いつまでも旅行者や観光気分であってはいけない。その土地の歴史や文化を学んだり、その土地を作ってきた先人に対してのリスペクトを忘れてはならない。

一人の移住者として5年を過ごしてみて、そんなことを意識しながら今後この地域社会と関わり続けていくこと。その土地の価値を搾取するのではなく、それを理解し、守り、その価値を高めるような貢献をしていくこと。良い形で移住者が地域と長い付き合いをするためには、そんなものが大事なのかなあと思っている。そして、たぶんそれは、軽井沢に限った話でもないはずだ。

ということで、このブログ記事が、いつか誰かの役に立ちますように。