「長野」と「信州」の違いを調べていたら、長野県民であり信州人でもある自覚にたどり着いた話
2018年10月6日
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この土地に移住して4年が経つ。
移住して日々の生活を過ごしていると、この地域を二通りの表記で呼ぶケースがあることに気づく。
「長野」と「信州」。
この違いは一体何なのだろうか。
おそらく全国的には「長野」のほうが通じるだろうけれど、東京に住んでいた頃でも、野菜や果物が「信州産」という表記で売られていたこともあった気がする。
お菓子のパッケージにもこんな感じで両方書かれていたりする。
信州 長野 違い pic.twitter.com/ctka35Kou6
— Indigo (@indigo13love) September 23, 2017
また、こんな気づきも。
もともと、筑摩県というものがあり、長野県に合併される形になったので、南信には長野県という呼び方に違和感を覚える方もいると聞いています。私も、行政区分としての意味でのみ長野という言い回し、そのほかのケースでは信州という言い回しをするよう、気をつけていたりします汗
— 軽井沢移住者の櫻井です (@HelloKaruizawa) October 5, 2018
長野県という言い回しに対する違和感についてと、そして、「信州」って一体何?という疑問。
今回はそんな、「長野」と「信州」にまつわる話をしようと思う。
ちょっと歴史っぽい話をするが、「長野」 とは、廃藩置県の前、長野市を中心としたごく一部のエリアのことを呼んでいた。
地図でいうとこんな感じ。
10の地域に分かれている。
出典:長野県の公式サイトより
この図でいうピンク色の地域が「長野」。藩で言うと、松代藩・須坂藩・坂木藩をあわせた地域の名前だった。
また、「大字長野」という地域もあり、もともとは長野市よりもさらに小さい地域のことを長野と呼んでいたのではないか、という説も。
現在の長野市大字長野に上長野・下長野、また大字西長野に西長野・袖長野・中長野という小字が残されており、「長野」とは現在の信州大学教育学部付近から善光寺参道付近にかけての緩傾斜地を呼んだ地名だと思われる。
新幹線ではなく、車で走るとよく分かるのだが、長野県は山に囲まれた土地であり、盆地ごとに一つの文化圏、生活圏が形成されている。
例えば、佐久地域から松本地域に行くためには「三才山(みさやま)トンネル」というところを通るのだが、これが非常に長いトンネルなのだ。
この三才山トンネル、通行が有料なので、敬遠して一般道を使って越えたことがあるのだが、かなり山深く、標高差も激しい、さらに車通りが少ないので道割れや雑草がひどく、二度と通らないレベルだった。。
ちなみにこの三才トンネル、幸い、2020年に無料可される予定・・!
長野県は山がたくさんあり、行き来をすることが地理的に難しい。それが文化圏を隔てるひとつの境になっている。山で囲まれた盆地は、それぞれ佐久平、松本平、善光寺平、伊奈平という名前がつけられていたりもする。
長野県では、一山越えると、違う文化圏に入ると認識しておいたほうが良さそうだ。
「信州」というのは、「信濃国」の頭文字を取り、「州(国という意味)」をつけた呼称である。
では、そもそもの「信濃」は、どこから来た呼び名なのだろうか。
よーく調べると、「信濃」という表記の前に、「科野(しなの)」という表記があったらしい。
「科野」の語源については諸説あるが、江戸時代の国学者である谷川士清は『日本書紀通證』に「科の木この国に出ず」と記し、賀茂真淵の『冠辞考』にも「(一説では)ここ科野という国の名も、この木より出たるなり。」と記しており、「科の木」に由来する説が古くから有力とされている。また賀茂真淵は「名義は山国にて級坂(しなさか)のある故の名なり」とも記しており、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」や「級」に由来する説を残している。他に「シナとは鉄に関連する言葉」とする説もある。また級長戸辺命(しなとべのみこと、風神)説もある[3]。
この「科野地域」については、木曽以外のかなり広範な部分で、現在の行政区分の長野県にかなり近い。
4世紀末から6世紀初頭にかけて、埴科古墳群や川柳将軍塚古墳など、ヤマト王権の影響を受けた古墳が築造された。7世紀の大化元年(645年)の大化の改新の後の令制国発足により、科野国造の領域の佐久、伊那、高井、埴科、小県、水内、筑摩、更級、諏訪、安曇の十郡を以って成立し、現在の長野県のうち木曽地方を欠く大部分を領域とした。
ということで、この「しなの」という言い回しであれば、現在の長野県を指す上で、どこかの地域に偏ることもなく良さそうだ。
長野県の教育機関では、「信濃の国」という歌を繰り返し歌わせるというが、これも長野県民としての一体感を育むことが一つの目的としてあるらしい。
まあ悪く言えばプロパガンダ、良く言えば県民アイデンティティの育成である。
歌の出だし、「信濃の国は十州に〜」という歴史的経緯を踏まえたフレーズで始まるのが感慨深い。
更に良く調べていくと、廃藩置県の際に、現在の長野県は「長野県」「筑摩県」の2つに分かれていたらしい、という事実にたどり着いた。
筑摩県(ちくまけん)は、1871年(明治4年)に飛騨国および信濃国中部、南部を管轄するために設置された県。現在の長野県中信地方・南信地方、岐阜県飛騨地方と中津川市の一部にあたる。
1871年(明治4年)、第1次府県統合により、信濃国・飛騨国6県の統合により誕生した。このとき、名古屋県の信濃国部分(旧尾張藩領であった木曽地域)も編入されている。しかし、1876年に信濃国が長野県に、飛騨国が岐阜県に合併されて廃止された。
それにしても、これは元筑摩県側は反感を覚える合併である。
現代であれば、群馬と栃木が合併されて新栃木県とか呼ばれるような感じだろうか。
さらに群馬の一部は合併されず、草津がある吾妻郡は長野県にとられる、みたいな。
このような経緯を踏まえると、「長野」以外の地域の立場だったら、なぜ自分たちの地域も「長野」と自称するようにならなければいけないのか、そこにはちょっとした違和感が出るのもわかる気がする。
例えば、日本・中国・韓国・北朝鮮などで考えると、わかりやすいだろうか。
この4カ国が、まとめて「日本」と呼ばれたり、「中国」「韓国」「北朝鮮」と呼ばれたりしたら、「いや俺ら日本だから」「中国だから」「韓国だから」「北朝鮮だから」となりそう。
「東アジア」といったように、どこにもかぶらない名前なら良かったんだろうけれど。どこか一つに偏ってネーミングされたら、それ以外の人たちは反感を覚えるだろう。
考えてみたら、松本山雅FCのチャントは、「信州松本のフットボール」という一説がある。スタジアムに行って聞いていると、この一節は、松本のサポーターがより誇り高く歌っているのではないかという印象を受ける。
今日も一つになって
追い求めろ 俺らと
信州松本のFootballを
行け 山雅
そのアルウィンの脇にある空港の名前も、「信州まつもと空港」だよな。
この「信州」という呼び方は、松本を中心として、元筑摩県のエリアで、プライドと共に語られる呼び方らしい。
「長野」と「信州」の違いがわからないやつは何をやってもだめ
— ミニエコー (@miniecho123) March 2, 2015
こういった歴史の経緯を理解した上では、「長野に住んでいます」とは言わずに、「信州に住んでいます」と意識していこうかなと思った。そもそも長野県内で「長野に住んでいる」というと、長野県でなく長野市周辺に住んでいる、とも取られ、混乱しがちになるし。
今回は、「長野」と「信州」について考察してみた。
移住し、長野県民になったからには、この2つの違いは抑えておきたいところだし、使うシーンについても気をつけていきたいと思う。行政区分上は「長野県民」ではあるが、アイデンティティとしては「信州人」という自覚を持ちたいところだ。
ということで、このブログ記事が、いつか誰かの役に立ちますように。
このブログについて:2015年に東京都から軽井沢に移住した櫻井泰斗さんのブログを再編集してお届けしています。
櫻井泰斗
2015年に東京都文京区から軽井沢町へ移住。移住当初から「#軽井沢から通勤するIT系会社員のブログ」を運営。Twitter上で、軽井沢の移住者や移住希望者をつなぐコミュニティをつくる。移住に関する情報交換や、移住者間のコミュニケーションを活発にした。2020年コロナ禍をきっかけに夫婦でYouTube活動を始める。軽井沢での暮らしや観光情報を発信している。
Youtubeアカウント:さくらい夫婦の 軽井沢チャンネル
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